プロフィール

パーソナルトレーナー 安川 秀幸(やすかわ ひでゆき)

1985年3月11日生 32歳。(大相撲の横綱白鵬と同日。)
千葉県市川市曽谷という町に生まれ、裕福ではないが暖かい家庭に生まれ育ちました。

現在、運動が嫌い・苦手な初心者専門の『パーソナルトレーナー』として、都内で活動しています。
プライベートジムBellezza(チーフトレーナー)
・エニタイムフィットネス(認定トレーナー)
BEAUTY FITNESS(プロモーター)
3社で活動中。
心と身体の健康を支える仕事をしています。

元々運動が苦手で、学校の体育の成績は2
身長182cm 体重52kg(現在は182㎝ 74kg)
ガリガリでコンプレックスだらけだった自分を変えてくれたのがトレーニングでした。

僕のように自分自身にコンプレックスを持っている方でも、
自分に自信を持ち、自分らしく生きれるように!
パーソナルトレーナーとして挫折しないダイエット、筋トレ指導を行っています。

趣味は、筋トレ、バスケットボール、ゴルフ、スイーツ巡り、カフェ巡り。
好きな女性のタイプは、前向きで健康管理のできる人。
好きな芸能人は、中学生の頃から『浜崎あゆみ』さんが好きです。
好きな漫画は『ワンピース』『刃牙』『コードギアス』『スラムダンク』『銀魂』などなど。

少々長くなりますが、ここから僕の歴史を紐解いていくのでお付き合いください。

1985年3月11日に生まれる。

千葉県市川市にて、父の安川秀一と母の安川弘美の下で長男として生まれました。
誕生日が実は名前の由来にもなっていて、僕の生まれた日は雪が降っていたそうです。
そこで父の名から秀、雪が降っているから雪をとって秀雪と名付けられましたが、
僕の生まれた千葉では、雪はすぐに解けて消えてしまいます、だから雪という字を幸せに変えて秀雪→秀幸と名付けられました。

この誕生日について実はもう一つストーリーがありまして、
本当は僕の出産予定日は4月になるはずだったんだけど、一ヵ月早くまだおなかの中で小さいままなのに生まれて来てしまったのです。
これは自分では運命だと思っていて、出会う人や環境を生まれながらにして自分で選択して生まれてきたと思っています。
結果、学校では運動のコンプレックスを持つことに・・・・・

幼少期

僕はおじいちゃん、おばあちゃん子でとても大事に育てられ、ものすごく甘やかされて育ってきました。
気が付くとすぐにお菓子をたくさん与えられたり、この時から僕の甘いもの好きの感覚は養われ始めたような気がします。

僕には三歳年下の妹もいるんだけど、おそらく僕が一番祖父母からは可愛がられていた自信があります。家族も仲良く暖かい家庭で育ちました。
ちなみに僕の幼少期ですがとても丸くてぽちゃぽちゃしていて、自分で言うのもなんですが可愛いです。もしかしたらこの時が過去最高に太っていたかもしれません。

ただただ家族の愛情をたくさん受けていたので、本当に何も考えず幸せな子供でした。

小学生低学年期

相変わらず甘やかされて育った僕もついに競争社会の小学校に通うことになります。
僕の最初の学校生活は千葉県の成田空港が近くにある成田小学校でスタートしました。
父親の仕事の都合で成田空港のある成田市に住んでいたのです。

あの頃の成田周辺は本当に何もなく、区画整理された土地だけがあった記憶があります。
あまり交通網も発達していなかったのか、小学校まで1時間の道のりを毎日歩いていました。

そして学校が始まり一月後、地元市川市に帰ることに。
僕の第二の小学校生活は転校生として始まりました。

僕は小学校低学年のころ、変わった趣味を持っていました。
ほぼ10歳の時、皆さんはどのような趣味を持っていたでしょうか??

当時僕は学校にある小さな山に行って、シャベルをつかって学校の山に穴を掘り続けることが趣味でした。

授業が終わると家に帰りすぐに学校に向かいます。
そして1時間、2時間、3時間と穴をを掘り続けます。

当時は5時のチャイムが鳴ったら帰ってくる約束をしていたのですが、
僕は20時ころまで穴を掘り続け、よく家族に怒られた記憶があります。

よくわからない虫の幼虫や、硬い土など出て来るのが宝探しをしているようでとても楽しかったです。

今思えばきっと僕はこのころから人と違った価値感を持っていたに違いない。
そして、やり始めたら止まらない性格もきっとこのころから身に付いていたのだと思う。

小学校4年生~中学校3年生(暗黒期)

小学校4年生~中学校3年生までが僕の暗黒期になります。

まず、体育の授業。
筋力のなかった僕は徒競走は最下位、ドッジボールはすぐにぶつけられ、逆上がりはずっとできず、縄跳びも二十回しが、何とか一回飛べるレベルでした。

そして友人と始めた少年野球、友人は外野までボールを飛ばしてかっこよくヒットを打つのですが、僕が打つ球はすべて内野ゴロ。

今思えばいったい何が楽しかったのかよくわからないです、とにかく運動ができないコンプレックスを積み重ね育っていきました。

そして、小学校を卒業し中学に通い始めるのですが、貧弱であるがゆえ、苛めを受けます。
友人の思い通りにならないと、僕は押さえつけられたり殴られたり。
カッターで制服を切られたこともありました。

それでも貧弱で自分に自信がなかったので、自分は何でもないふりを続けていました。
でも心の中ではコンプレックスだらけの自分になっていて、どんどん人とコミュニケーションをとることが出来なくなっていきました。

体力も根性もなかった中学生時代は体育の成績も5段階中2ばかりで、柔道の授業に至っては人と戦うのがいやすぎて、学年で唯一女子に交じってダンスの授業を選択するほどでした。

中にはとてもいい友人もいたのですが、私にとっては中学生時代は人生を何者かにコントロールされ続けていて、自分にはいいことなんてないと思っていました。

高校でバスケ部入部でトレーニング人生の始まり。

中学では、いじめにあっていた僕は、高校生活こそ何とかしようと思い立ちます。
一年のうちに正月しか休みがない様なスパルタ指導のバスケット部に入部しました。

ここで、恩師や仲間との出会いにより私の人生は急変していきます。

高校からバスケット部に入ったのは良いものの、中学まで体育の成績はいつも2で帰宅部の僕です。当然のように他の部員からは1週間で辞めると思われていました。

普通にバスケットをしている人には信じられないかもしれませんが、当初の僕のスペックは、
身長182cm 体重52kg フリースローは届かない、人生で初めて挙げたベンチプレス挙上重量は最大で7kgしか上がらない、日本一のもやしっ子でした。(苦笑)

そんな日本一のもやしっ子も恩師や仲間の支えもあり、ここでは死ぬ気で3年間練習を頑張り続け、最終的にはバスケ部レギュラーにまで上り詰めました。

なぜ?ひ弱だった僕が厳しいバスケットボール部でレギュラーになったのか?
実はこの話には裏があります。

なんと!練習が厳しすぎて僕と部長を除いた部員全員が途中で部活を辞めたのです。
おかげで僕は自動的にレギュラーになり、猛練習の日々を過ごします。
最終的に千葉県大会に出場するという、人生で初めての成功を味わうことになりました。

高校生になった頃から身体を鍛えはじめ、それとともに人生は好転してきたと思っています。

大学受験に失敗して一年間の夏休み。

18歳までの人生、何一つ得意な事がなかった僕はもちろん勉強もあまりできず、大学受験に失敗します。
そして一年間の夏休みに突入。
高校生活で身体を動かす事に対するコンプレックスがなくなってきた事で、引越し屋という肉体労働をしながら半年間遊びほうけていました。

ただこのまま一生夏休みという訳にもいかず、周りの大学生が楽しそうだったので、
9月から猛勉強しました。毎日9時~21時まで一日も休まず勉強した結果。
4ヶ月で偏差値30台から偏差値60くらいまで上がり、日大理工学部の化学科に合格し、理系男子への道が開けました。

トレーニングに没頭し大学生活7年間

日本大学理工学部に入り、化学の勉強や趣味のバスケや旅行、飲食店のアルバイトをして過ごしていた僕に衝撃的なことが起こります。

大学二年生の夏、代々木公園にストリートバスケの大会を見に行きました。
そこには、ストリートで自由に表現をして、バスケットボールに命をかけてプレーしているバスケットボールプレーヤーが沢山いました。

これまで自分の人生を与えられた中でしか生きてこなかった僕にとって、自分の好きなことで自由に表現している人達の存在は衝撃的でした。
そこには海外の選手もいて日本人もいて、プロリーグで活躍している人もいました。

その日心打たれた僕は、身長2mある海外のバスケット選手とも渡りあえるように、即トレーニングジムに入会します。
これが僕自身トレーニングに没頭したきっかけです。

この日から週7でトレーニングジムに通い、初めはたった2名のバスケットボールチームを作り、週5日でバスケットボールの練習をする生活になります。
このころの目標は、たった一度の人生、自分の好きなバスケットで表現することで1円でもお金を稼ぐことが目標でした。

毎日毎日トレーニングと練習にのめり込みました。
その結果体重は57kg➡︎82kgまで筋肉をつけて増量したので、ガリガリの虚弱体質から筋肉質なマッチョ体形に変化しました。

身体が強くなったことでプレーの幅も広がりバスケも上達し、精神的にもかなり鍛え上げられたので、人見知りもなくなってきて、自分に自信が持てるようになりました。この時本当に身体作りは人生を180度変えるものだと気づきました。

僕はいっきに友人も増え、彼女も出来て、本当にトレーニングで人生変わったと思います。
ただこの後3回の膝の怪我、2回の手術によりバスケの道は諦めることに。
その間大学に行かなくなってしまい留年したので7年間大学に通うことに、普通とは違い7年間の大学生活を過ごす事に。
一つ、余談なんですが僕は高校生の頃から、ガリさんと呼ばれています。
筋肉質になってもガリさんと呼ばれ続けていて、千葉に帰ると未だにガリさんと呼ばれます。

大学卒業➡パーソナルトレーナーの道へ

大学を卒業したのは26歳、両親には本当に迷惑をかけました。
僕の大学卒業を見守ってくれた両親もやっと大学を卒業して化学や食品や医療品メーカーに就職してくれると思っていたと思います。

ですが、僕は化学の道を捨てます。
自分の人生を変えたトレーニングの道で生きたい!
自分のようにコンプレックスを持った人の人生を輝かせたい!!
日本一来る人を輝かせるジムを作りたい!!!
そう思いパーソナルトレーナーの道を歩むことに。

26歳大学卒業と共にパーソナルトレーナーとして独立。
独立とは言っても全く資金もコネもノウハウも無かったので初めはお客さんも集まらず月の売上が2万円などでした。

ジムでアルバイトをしながらトレーナー業をしていたのでとても苦労しました。
なかなか売上が上がらない期間が3年有りました。

自分自身の技術を磨き続け、一人一人のクライアントを全力でサポートをして行くうちに30歳目前で一気に活動の幅が広がりました。

2014年~2016年
エニタイムフィットネス5店舗で売上1位。
プライベートジムbellezzaチーフトレーナー、ジムの運営やトレーナー指導などを兼任。

2017年
BEAUTY FITNESSプロモーターとして各種トレーニングイベントやトレーナー育成やオンライン指導を開始。

現在3社と提携し、東京都内を中心に運動が苦手な方や初心者の方を中心に徹底的にサポートしています。

そして現在、コンプレックス➡強みに変える!

僕は現在も運動は得意ではありません。
スイーツも好きで我慢できません。
コミュニケーションも上手ではありません。

でもそれで良いと思います。

過去の僕は軟弱で、会話もあまりできなくて、お金も苦労して、バスケも挫折して、大学も留年して、イジメにもあいました。
コンプレックスの上にコンプレックスを何重にも重ねた、コンプレックスの塊そのものです。

ですがコンプレックスだからこそ、誰よりもたくさん悩んで試行錯誤したと思います。
結果的に今では僕の強みになっています。
こんな僕でもトレーニングで変化し、自信がつき、自分が大好きになりました。

コンプレックスや苦手な事ほど、人は行動するのは難しいと思います。
僕はパーソナルトレーナーとして、身体を変えることから、全力でサポートしていきます。

身体が変われば考え方が変わり、
考え方が変われば言葉が変わり、
言葉が変われば行動が変わり、
行動が変われば習慣が変わり、
習慣が変われば人生が変わります。

身体づくりは人生をより良く変える!を実現できるようにブログを日々書きたいと思います。
1人でも多くの方が自分らしく輝けるように!